私は病気は敵ではないと思っています。
病気は確かに辛いですが、それに至るまでに自分がどんな思考をしていたか、観念があったか、どんな生活をしていたか、魂としてどんな学びをもってきたか?
前回のブログでも、ねじを緩めないと大病につながる話をしましたが、自分のさまざまな状態から病気はおきます。
でも、先天的な病も含めこれは敵ではありません。
敵になった瞬間に戦いがはじまります。
確かに免疫システムが必死に病気と戦ってはいますが、、、
心や精神が戦いを始めるといろんなものが消耗されて疲れてきます。
そしてもう一度自分の中心の視点に戻ってみましょう。
敵ですか?
病気になったら一度会話してみるといいでしょう。
自分の身体や病気を擬人化してもいいですよ。
これは実際に病院でも使用される方法です。
時にイメージで細胞を敵にして戦い消す方法もとられますが、
和解して出て行ってもらうこともできるでしょう。
病気の共存を許すと病気の進行が緩やかになったり、確かに病気があるのに健全そのものの生活を送っているなんて方もいらっしゃいます。
これは一部の人の奇跡ではないと思います。
争うこととは一体なんでしょう?
戦争や小さなケンカ。。。これは大きな視点から見たら同じ争いです。
誰がよくて誰が悪いというお互いの正しさの主張。視点が変わればどちら敵か?
個人の争いやケンカを一瞬でも世界中の人がやめれば、戦争が終わるでしょう。
地球が身体で、国が臓器、そこかしこでの戦争が病気と免疫システム、でも病気から見たら自分達が免疫で正しいというかもしれません。
これが争うことをやめたら?自分の考え方を個人個人が内面を見つめて敵という幻想を手放し、いるべき場所に全てがもどったり、修復や敵ではなく共存のための協議がはじまるでしょう。
一概に一言では言えませんが、争いが終わるとこんなことが起こります。
死が終わりではないということと、病気が敵ではないという視点での話です。
では運動会や勉強、オリンピックはどうなの?なんて思う方も多いかもしれませんが、
最終的には自分の精神やイメージ力、自分自身をどこまで高めてきたかであって、外に敵がいるようで実は自分との向き合い方がとわれるものだと思ってます。
だから順位をつけずに仲良く手をつないでゴールしてストレスを減らすとか、
登場人物全てが桃太郎とか白雪姫と王子様だけのとんでもない舞台のお話は私は共感できません。
得意不得意や舞台の役、順位の高い低いがよい悪いではなく、それぞれがどれを楽しいとかんじるか、自分の個性形成を楽しむアイテムや経験にするかです。
これは争いではありません。
話がそれましたが。。。
病気は和解という方法や、共存を選択するなど争うことをやめたり学びが終わると突然に消えたりします。
乱れた生活や波動、自分自身の観念が変わったら突然翌朝別人になった気分なんて人もいます。
病院で入院・手術などの経験や長い休暇が必要な人もいますね。
でもこれにも信じられないかもしれませんが、魂の選択が存在します。
これはいい悪いではありません。
病気になるから悪いのではないのですよ。敵ではないですからね。
病気にであった自分が何を感じているのか?
全ては経験。選択。ここに善悪はありません。
病気に自分がなってしまうのはもちろん、大切な人がなってしまうのもやるせない辛さや悲しさがあるとおもいます。
それがとても重篤ですと色々な覚悟や言葉にはできないものがありますね。
ですが、その感情にとても大切なエッセンスがあります。
経験して喜怒哀楽の感動をするためにここに生まれました。
ここに生まれることを選択したときの私達は、この喜怒哀楽は全てが貴重であのときの場所ではつかめそうでつかめないきらきらしたものでした。
だから、そのまま飲み込むとか我慢ではなく感じてみてください。
以前にご紹介しましたベルナスやバシャールの手法はこの感情の扱い方や、何を自分が創っているのかがよくわかります。
MooNでもサポートをおこなってます。
病気だけに限らず目の前に敵はいません。
全ては自分の中が何をどう見ているか。。。スピリチュアルというだけでなく脳の構造も見たいものを見たいようにしか見れないのです。
自分が敵という名前をつけない限りはそれはそのままの存在です。