キラキラした感覚でひらめいてはじめた夢なのになんだかしっくり来なかったり、辛くなってきた、なんだか全部が敵にみえてきた。。。なんてなると、自分の夢が間違ってたのかなんておもえてくるかもしれない。
でもね、これ、、、実は良い道を歩いてる。
どおか人も自分も責めないでほしいのです。
キラキラした感覚でひらめいたのに今は重くて辛くてなのだとしたら、それは本来の自分より力が入りすぎて少しずれている。
ずれてるのに良い道歩いてるの?っておもいますよね。
キラキラしたものを夢見てひらめいた時のあなたはクリアでワクワクしてる
どんどん道を歩いていたら色んな人に逢って話して、色んな感情を感じたり、、、何だかこの道でいいのか地図を確認しなおしたり、誰かに聞いたりしてそわそわし始めたりする。。
そおすると、道にある時大きな門と門番に遭遇する。
「ここを通ると私の目的地にいきますよね?」
「はい、もちろんです」
「じゃああけてください」
「・・・そのお荷物をこちらに捨ててからでないとお通しできません」
荷物ってなんだろ?
そこではじめて自分が何を持っているか見直すのだ。
恐れ。不安。怒り。喜び。悲しみ、、、色んなものを持っていたようだ。
それが様々な色彩を放ち、あなたの人生をドラマティックに彩ってくれた。
しかし、この門番のいうようにこの先に行くには少し重いのだ。
この門番は今のあなたにとってはトラブルだったり、辛い言葉だったり、何か外側の脅威的な魔物のようなものかもしれない。
それをみて、あなたはまた色彩豊かに感情をその門と門番にぬるだろう
この厳ついの怖いわ。。。この門をくぐれなければどおしよう。。。不安。などね。
これは、自分が夢を目指したり何かをしようとすると癖のようにでてくる感情だったりする。
夢を叶えようとする感覚には、叶わなかったらどおしようがくっついている。
これをくっつけてるのが感情であり、それを知るために自分が無意識にせよ創るのがこの門(トラブルや辛い経験と感じるもの)だ。
だが、色を塗らない限りはこれはただの門なのだが、色彩豊かな人間はこれに感情という色をぬる。
これは全て自分の中で起きていることなのだ。
この感情、捨てたらなにも感じなくなるわけではない、その門の先にあるものはもうすこし違う段階で感動するものなのだ。
クリアであるほど制限無く豊かに創造できるもの。
感情を手放した時に、その門すらなかったことに気付く。
トラブルや辛い出会いや経験は、一見あなたを苦しめる脅威かもしれないが、それはあなたさえそれに繋がる色を自分が手放し、目の前に表現することをやめればそれはもお力の無いただの状況になる。
何かをしようとがんばる時はとっても力が入っている。
でも、名案をひらめいた時ほど人は力が抜けているものだ。
キラキラしたものは同じ波動で現実化する。
力を抜いて自分のもっているものを少し見直す時間をとるのも悪くないです。
その感情がこの瞬間、自分の人生を創造しているのだから。
自分の中で創られるのが先で、現実に現れるのが後なのです。
人は本来自分はこれなんだっていう形や制限もありません。
決めた瞬間に自分がそれになる。
後半はより柔軟に力を抜いて粘土遊びをするように自分を内観しつつ自分を創ることを遊んでみてほしいのです。。。
もしも一人で難しい時はMooNにお声をかけてください。
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