人としての経験をするために地球に来ている私たちは、感情に対してとても強い愛着がある。
アクセサリーや洋服のように取り替えたり、また引っ張り出してきて着てみたり。
そして思う、「そうそうこれこれ!!」
わくわくしてみたり、どきどきしてみたり、何にせよ感情は私達にとって彩りだ。
それは悲しみや怒り、怖いなんてネガティブなものも同じ愛着を人は示す。
自分がその場で経験している時はそれ一色だ。
なので楽しんでるなどほど遠いし、まして愛着があってわざわざクローゼットから出したお気に入りの洋服と同じだなどと思えない。
しかし、時に大泣きしたくて感動ドラマを観たり、怖さを体験したくてホラーやサスペンスなどをかじりついて観ている人は多い。
どこかで人は感情を感じ尽くしたい衝動にかられる。
そして、どこかで癖のように何度も何度もその感情を選びがちだ。
それはやはり愛着なんだろうと思う。
苦しいものだったり悲しいものも何年も持ち続けると、それを手放すのがまるで自分の身を削るような、自分の半生を否定するように感じる人もいる。
「私の悲しみと苦しみは本物なの!」
そんな風に自分自身の愛着あるものを外に認めさせようと行動に移ってしまう人もいる。
愛着はどこかで麻薬のように癖になるのかもしれない。
慰めてくれている、自分をわかってくれているように寄り添ってるように感じてくるのかもしれない。
これを良い悪いとジャッチするものではない。
でももし、誰かに認めてほしくて苦しみや悲しみ、怒りをもち続けその人生を創り続けているのなら、心の中のクローゼットを見直してみるのもいいかもしれない。
洋服やアクセサリーも時々見直しませんか?
髪型を変えたり、メイクを変えたり、その時の気分で変えるものだと思うのです。
似合わなくなってたり、気分と違う服、お気に入りで思い出いっぱいの洋服も古くなったりほつれてきてみたり。。。。
ぎゅっと抱きしめて、その時の思い出がつまった服にありがとう~って言ってみたり、、、最悪のデートの思い出が出てきてばかやろーって言ってみたりして捨ててみたり・・・
そんなことをしながらクローゼットの彩りは変わり、今の自分の彩りにしていきますよね。
感情も同じ。。。自分が選択しているその感情、本当に感じたいものなのだろうか?
だいぶ着古した洋服になっていないだろうか?
それよりも、無難に選んでるだけで本当の自分自身とは実はかけ離れたものかもしれない。
勇気や外側の賛同がほしくなると思う。
でも、まずは変わることを決めるあなたの決心が次の瞬間の彩を決めるのだ。
小さな一歩は大きな一歩に繋がっている。
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