人は生涯を通して何度か大なり小なり様々な精神的なゲートを通過する。
空港をイメージしていただいてもいいですね。
スーツケースや旅行バックを手にして、お気に入りの洋服やアクセサリー、、、機内をリラックスして楽しむためのアイテムをもって、いざ先に行こうとすると空港職員に止められる。
「お客様、、、次の目的地にはこちらはお持込禁止です。」
「スーツケースも…これでは重量オーバーですね」
なんていわれて迷うのだ。。。
せっかく準備したのに、そして禁止といわれたものは自分にとってとっても重要な、着慣れた服だったり、アクセサリー、、、一度も手放したことの無い愛着のあるものだ。
・・・がしかし、よ~くみるともうほころびていたりひびが入っていたり、、、よくよく見るとひょっとしたらもういらないのかな、、、とも思うけどやっぱり次に同じものが手に入らなかったらどおしよう、、、次の場所には無いかもしれないじゃないかと、迷うのだ。
次の目的地はとても魅力的でキラキラしていて、でもちょっぴり未知で、、、背伸びしてようやくいけると思い込んでいた場所で、色んなことを想定してスーツケースもパンパンに詰まってる。寒くても暑くても、いざという緊急の用意もしている。
今までのこの場所では全てを持っていても何も言われなかったのに。。。。なぜ次の場所では必要ないのか?それで自分は生きていけるのだろうかと思う。
さあどおします?
引き返しますか?空港で荷物を捨てていきますか??
これは、どちらを選ぶのが正解というわけではない。
荷物や愛着のある着慣れた服やアクセサリーは、自分の思い癖や観念、過去の恨みや執着、、、自分でもよく見分けが付かなかったり他の感情にまざってわからなくなっているトラウマなんてのも押し込まれていたり、無意識に身につけている。
大切な転換の時や、自分が変わりたいと行動しているのに何でだろうかうまくいかなかったり、同じ過ちを繰り返しているなんて時は、よく自分の荷物や何を心に身に着けているのかよくみてみないと、次に進めない場合がある。
幸せになりたいのです!!と口では言っているのに、手放せない執着や依存している関係を手放せないとか、、、過去の不幸体験のせいで幸せになれないと話すのだとするのなら、それは次に行くには荷物が重すぎるのだ。
何かのせいにしたり執着することは、鎖となりその場から動けなくする。
じゃあ幸せになれないのか?そんなことは絶対にありえない。
それは、よくよくみて受け入れることです。
状況は経験と学びを与えてくれているだけ。そこで自分が感じた感情はスパイス。
よく味わって、スパイスの正体がわかると状況はただの状況で、経験は糧になって、スパイスの感情は棚にもどせばいい。
それはあわてることなく自分のペースでいい。
私達にこのチャンスのゲートは24時間いつでも開いていつでも出発可能だからだ。
悲しさも悔しさも経験も味わいたいだけ味わって、そこで何かがわかるといらない荷物がなんなのか見えてくる。
そおしたら光の下でスーツケースを掃除して、もう一度荷物を並べてみると、最初に旅立とうとした時の半分もいかない身軽な自分ができていて、感謝と共に愛着のあった服やアクセサリーを手放せるでしょう。
誰かのペースや世の中に飛び交うアセンションの言葉だけに惑わされないでほしい。
案外人の成長って地道で、時に泥まみれなものだったりな面が多いが、、、そこを越えていくととてもきらきらした、時にびっくりを越える奇跡や感動の多いものだから。
自分の心や経験を恥ずかしがらずに堂々とあるがままに成長して、ゲートをくぐってみてください。
それが許されてるってとっても贅沢で愛で、温かいものだから。